オープンソース的協力が成立する要件についての実験と考察

拙著「シリコンバレーから将棋を観る」の英訳、仏訳プロジェクトがスタートした。「何語に翻訳しても自由」と宣言したのが4月20日、発売が4月24日で、それからまだ一週間である。将棋の世界の方々からも、このスピード感に驚いた、という感想をいくつかいただいた。僕自身も、予想外の展開だ。まだ英語については、英語ができる人の母数が多いから、時間はかかるだろうけれど立ち上がるかなとも期待していたが、仏訳プロジェクトについては想像を超えていた。リーダーの山田さんの仏訳プロジェクト発足宣言を読んで内心心配していたのは、ずっと誰も手を挙げない可能性だったが、すでに三名のメンバーとともにプロジェクトが始動している
ウェブ進化論」以降の一連の著作の中で、オープンソース現象や、オープンソース的協力の可能性について論じてきた。そして、同時代的に実験が続いていてまだ解がはっきりわかっていない「オープンソース的協力の成立要件」について、これまでずっと考え続けてきた。そしてその大切な要件のいくつかを満たす条件が整うチャンスがあれば、自分でも挑戦してみようと思っていた。

  • プロジェクトの中核に、尋常でない情熱が宿っていること。
  • そのプロジェクト自身に大きな意義がありそうに思えること。
  • プロジェクト・リーダーの私的な利益に供しないこと。
  • オープンソース的協力がなければプロジェクト自体が成立しないだろうこと。
  • プロジェクトに参加するために必要なスキルがわかりやすいこと。

これらが「オープンソース的協力の成立要件」についての結論というわけではないのだが、今回「シリコンバレーから将棋を観る」という本を「何語に翻訳しても自由」と宣言したのは、この五つの条件を満たしていたからだ。
まず第一の要件。本を読んでいただければわかるが、僕自身がこの本を書くことに尋常でない情熱を傾けた。担当編集者もそうだった。しかしそれ以上に、本書のテーマである2008年の将棋界で起きた熱狂、それを巻き起こした本書の登場人物四人(羽生さん、佐藤さん、深浦さん、渡辺さん)の「熱」や、それを支えた将棋界の「熱」はとてつもなかった。第一条件は間違いなく満足していた。これは100%以上の確信をもって、そう言い切ることができる。
そして第二の意義の問題だが、このプロジェクトには「日本発世界」という希望と可能性がある。将棋という素晴らしい日本文化をグローバルに伝えるということは、すべての人を魅了する意義はないかもしれないが、よし何かやってみよう、自分も参加してみよう、とある種の人々に思わしめるだけの力がある。
第三の「リーダーの私的な利益」の問題だが、僕の仕事に関係する一連の著作でこういう試みをやらず、この本でだけやった理由でもあるのだが、この本は僕自身のビジネスと関連する意図がまったくない。自分がひたすら愛する将棋の世界に何か貢献をしたいという純粋な動機でやっていることだ。この本が何語に訳されようとも、僕自身のビジネスにはいっさい関係がない。本書に収録した羽生さんとの対談の中でもほのめかしたように、逆にこの本がきっかけになって、僕はさらにビジネスの世界から遠ざかっていく可能性だってある。
そして第四に、この本は、営利目的で翻訳をして出版しようと言ってくる海外の出版社は絶対に存在しない、ということである。そんなことはちょっと考えればわかる。だから出版社だって「どうぞどうぞ御自由に」ということになる。だから必然的に、他の方法とのコンフリクトがない。このプロジェクトは、僕自身が日本語以外の言語で書く、という方法以外とは競合しないのである。
第五に、ソフトウェアの場合と同様、言語の翻訳能力という、参加のためのスキルが明解に定義されているということである。そしてそういうスキルを持った人の母集団が、少なくとも英語の場合はかなりの数、存在するということである。ソフトウェアのオープンソース・プロジェクトの世界では、学生が多数参加してその道のプロから技術を学ぶという副産物的な参加の意義もあるが、言葉を学ぶという意義も副産物的にあるだろう。仏訳リーダーの山田さんが、ブログ

せっかくオープンにするので、できるだけ早い段階で、成果物とウェブ上にいるフランス人将棋愛好者とを繋げたい。
 そして、翻訳を読んだウェブ上のフランス人将棋愛好者のフィードバック(感想、質問)を翻訳して、梅田さんをはじめとする日本人の将棋愛好家や、棋士の方にブログ経由で伝え、(できれば)リプライを受け、それを仏訳して彼らに戻したい。
 この翻訳プロジェクトのそもそもの趣旨は、「将棋のグローバル普及」なのだから、このような交流作業を推進し、我々がフランス人将棋ファンと日本人将棋ファンの架け橋になることを見据えながら作業を進めたい。
 実はこの作業には、隠れた作戦もある。フィードバックを受けたフランス人に翻訳の添削をお願いする予定だ。文章のクオリティ確保にやはりネイティブの目は欠かせないと考える。もし、翻訳内容に関心を持ってくれていたら、無下に断ることはないのではないか、、と楽観的に考えている。

と書かれているが、ある程度の進捗が見えれば、ネイティブの方々を巻き込むことも可能かもしれない。
ただ、このプロジェクトは、まだ始まったというだけで、成功したわけではない。でも、始まると始まらないとでは大違いである。始まれば、参加者が皆、さまざまなことを学べるからである。僕がそこで学んだことは、また改めてフィードバックしていくことにしたい。