金子金五郎が語る「観戦記の金子理論」

このたびのアルバイトを引き受けてくれた将棋好きのT君はじつに気が利いていて、「金子教室」以外についても、金子金五郎に関連する記事はすべてコピーして届けてくれた。
その中に「よろこびがいっぱい ―金子八段を囲む会―」(「近代将棋」昭和39年7月号)という座談会があった。なぜ「よろこびがいっぱい」かといえば、金子一門の松田茂行八段(弟子)、山田道美八段(弟子)、関根茂七段(孫弟子)がそろって昇級したからである。
文中に、棋史研究家の越智信義氏と金子金五郎の対話がある。

本誌「なんといっても、金子ファンは観戦記による、金子理論にあると思うのですが、その苦心を・・・・・」
金子「そうですね。一番苦労するのは手の説明ですね。強い人ばかり相手なら、変化の説明をすればよいわけですよね。3四とか4六とかね。しかしそれでは観戦記でなく解説になってしまう。つまりそのときにはこういう要素がからんでいるとこうやるわけ。ところが指手っていうものはそうじゃないんだよね。ヨコの配列がある、こういう変化がこうあると。それをタテにする。文章で書いて、ヨコを出しちゃうと、こんどはタテも踏襲するようになってしまう。だが実際はそうではなく、タテでもないヨコでもない、混然としたる感覚を持っているものが手で、その反省したときに、はじめてこういう手があるとわかるわけ。そういうものなんですよ手というものは・・・・
最初にその人の将棋観というものが成り立っているわけ。それを逆に分析したときに、ヨコに分析するとこういうものがある。それを統一すると、こういう考え方が出来てくると、こういうやつなんだな。だから実際は、パッと見たときに、ヨコの配列も、統一も出来ているんでなきゃあ、おかしい。それが棋士の実体だし、その呼吸を出さなければわれわれの苦心とか、迫るものが、ないわけなんだ。しかし、それの書きようがないんだな。」
越智「ということは、先生が棋士であるから、こう指した手は、こういう内面的意味があるとわかっても、紙面を通じて読者に内面的なものを伝えられないということですね。」
金子「そう。内面的だけ書けば書けないこともある(「ない」の誤りか)が、やっぱり手を入れなきゃあならない。手をいっとき説明しちゃってから、今度急に気合いを入れて、そのときの気持を書こうったって今度はまるっきり文体が違ってきますよ。これはおそらく不可能じゃないかと思うのです。しかし、将棋のうちのなにかをポンと書くやり方はあると思うんですがね。そういうものが、だれか出来ないかと思うのだが・・・・。」
越智「その点はね。金子先生がはじめて将棋の内面的なものを、私たちアマチュアにわかるように説明してくれた人だと思うのですよ。」
金子「内面的なものを巧く表現するか、それは、やっぱり観戦記の苦しいとこですね。」
越智「私はね。素人が専門家の将棋がわかるわけはないと思うのです。絵でもそうですが、絵心のないものが大家の絵を見ても、これが本当の芸術たとわからないように・・・。野球ファンが多いというのは、自分がやらなくても、テレビで楽しみながら自分なりの批評が出来ますからね。将棋は強くないと出来ない。それでも見る将棋なり、読む将棋を少しでも自分が専門家になったつもりで、なるほどそうだな――と、ボクらにわからしてくれたのは金子先生だ。ファンの一人として御礼申します。」
金子「そんなほうにね。心が向くようになったというのは、大体そういうことがボクが好きだったからなんですよね。」
(中略)
金子「手もそうだったが、ポカの表現もむずかしい。普通の説明をすれば錯覚しやすい局面であったと客観的説明ですむかも知れないが、そればかりではない。全然グウ然にポカをするわけはないわけですよね。それにはなにかそこにあるわけだ。その人固有の心の動きが・・・。それをつかまえることによって、その人の人間をつかまえ、生きた人間をつかまえることが出来ると思うのだが・・・・・」
本誌「盤側におられると対局者の心理などもピーンとひびいて来られると思うのですが、そういう内面的の表現まで掘り下げることは大変なことですね。大山―升田といった名人戦などはことにつかれるでしょうね。
金子「将棋が好きですから、その割りではないですがね。ついおもしろくなって考えるのでつかれます。」

理路整然としてわかりやすい金子教室の文章に比べると、「プロの将棋を、広く一般を対象に(強い人相手だけでなく)言葉で表現する苦悩」について語る金子の話し言葉は少しわかりにくいところもあるが、金子が後半生を賭けて続けたこの営みの意味は、現代将棋の世界において、さらに重い課題となって、相変わらず残ったままであると思う。
金子は、若き日に名人を争うほどの大棋士でありながら、将棋を言葉で表現することへの強い志向性を持った、稀有の人物であった。

その呼吸を出さなければわれわれの苦心とか、迫るものが、ないわけなんだ。

金子は、勝負に明け暮れた前半生の「われわれの苦心」を、自らの手で表現することに後半生のすべてを捧げた。そういう人にしかできない種類の著作活動が「金子教室」だったのだ。

将棋のうちのなにかをポンと書くやり方はあると思うんですがね。そういうものが、だれか出来ないかと思うのだが・・・・。

金子が理想とした「将棋のうちのなにかをポンと書くやり方」を、金子の遺志を引き継いた現代を生きる名棋士の誰かが表現してほしい、と切に願うばかりだ。