今月の「私の履歴書」: 青木昌彦氏

今月は日経新聞が届くのが楽しみだ。「私の履歴書」が、「日本と外国を行き来するような生活をかれこれ四十年以上も続けてきた」(連載①)青木昌彦氏(スタンフォード大名誉教授)だからだ。連載①の文中に、

ところで、文化心理学者のカール・ユングは、次のような印象深いエピソードを語っている。スイス人でありながら長い滞在で中国人になりきってしまった中国研究の友人が母国に帰ると、普通のスイス人にもどってしまう。そのことにユングは深い危惧を覚えるが、案の定、やがてその友人は深い精神の病に陥り、命を落としてしまう。ユングは、違った文化の狭間にあって、その二つを理解するということはそれほどの精神的な危険を伴うものだという。

とあり、わが身を振り返られて、

だからユングの説明に妙に納得してしまう。二つの世界の行き来とは、社会科学者としては得難い経験であるが、心理的な負荷もあるのだろう。ただ母国を賛美したり外国人になりきるだけなら楽だろうが。

と書かれている(人生を振り返っての冒頭にこのエピソードを持ってくるのだから、きっと重い意味があるのだろう)。
青木氏の「四十年以上」には及ばないが、こちらでの生活もそろそろ丸十三年。渡米以来、このブログのタイトルそのままに、日本とシリコンバレーという「二つの世界の行き来」を続けているけれど、たしかに「違った文化の狭間」の経験は、厳しい精神的緊張を強いることがある。ただ僕の場合はまだ、それもせいぜい「心理的な負荷」という程度で「精神的な危険」からはほど遠いのだが。
そして青木氏は自らについて、

社会問題や国際的なかかわりへの関心、よくいえばベンチャー精神(シニカルにいえば軽はずみ)→コミットメント→引きこもり→リセットの懲りない繰り返し。

と総括されているが、この感じはとてもよくわかる。この地に惹かれた人に共通する雰囲気だとも言える気がする。また「よくいえばベンチャー精神、シニカルにいえば軽はずみ」というのは、シリコンバレー全体の雰囲気の形容にもぴったりである。
連載をすべて読み終えたところで、また感想を書こうと思う。