司馬遼太郎「歴史のなかの邂逅」全四巻

司馬遼太郎作品はすべて僕の書架にある。いずれ時間ができれば「竜馬がゆく」「坂の上の雲」「翔ぶが如く」「街道をゆく」「項羽と劉邦」「花神」「菜の花の沖」あたりを手はじめに、ただひたすら再読しながら過ごしたいと思う。
司馬遼太郎 歴史のなかの邂逅〈1〉空海‐豊臣秀吉司馬遼太郎 歴史のなかの邂逅〈2〉徳川家康~新選組司馬遼太郎 歴史のなかの邂逅〈3〉坂本竜馬~西郷隆盛司馬遼太郎 歴史のなかの邂逅〈4〉正岡子規、秋山好古・真之―ある明治の庶民
この「歴史のなかの邂逅」は「歴史上の人物の魅力を発掘したエッセイ188篇。時代順に集大成」として最近編まれたもの。膨大な司馬作品へのインデックス機能にもなっている。作品の「あとがき」や、出版直後に自著について書いたり語ったりしたものが収録されているところが、とてもいい。
「歴史のなかの邂逅」第四巻冒頭に、「坂の上の雲」の単行本全六巻についた「あとがき」が並べられている(ちなみに文庫版は全八巻で、八巻の巻末に六篇の「あとがき」がまとめて収録されている)。
先日書いたブログに関連する司馬自身の文章があったので、ここに引用しておく。

この作品は、執筆期間が四年と三ヶ月かかった。書き終えた日の数日後に私は満四十九歳になった。執筆期間以前の準備期間が五ヵ年ほどあったから、私の四十代はこの作品の世界を調べたり書いたりすることで消えてしまったといってよく、書きおえたときに、元来感傷を軽蔑する習慣を自分に課しているつもりでありながら、夜中の数時間ぼう然としてしまった。(中略) この十年間、なるべく人に会わない生活をした。(中略) いずれにしても友人知己や世間に生活人として欠礼することが多かった。友人というほどではないが古い仲間の何人かが、その欠礼について私に皮肉をいった。これはこたえた。しかしやむをえないじゃないかと私は自分に言いきかせた。

「友人というほどではないが」という何気ない言葉に、司馬の憤りや諦めのようなものが垣間見られる。