二ヶ月で十行

「われわれはみな外国人である」(野崎歓)を読んでいたら、「ジャン=フィリップ・トゥーサンの文章」という1994年に書かれたエッセイにこんなことが書かれていた。

東京大学教養学部の主催で開かれたシンポジウムの際、彼は自作『カメラ』の冒頭十行をすらすらと暗唱してみせ、聴衆の驚きの声に対し、ぼくはこんな風に自分の作品のくだりを幾つも暗記しているんです。何しろ非常に時間をかけ、推敲に推敲を重ねて書くので、しまいにはどうしたって暗記してしまうのですと語った。
『カメラ』冒頭の、不思議に捩じれていてしかも読者の心を引きつける、いかにも彼らしさにあふれる十行は、それだけのために二ヶ月を要したものだという。主題も構成も決して前もっては決めず、つねに書きながら考え、そこから生まれ出るものを探求していくというのが彼の一貫した執筆態度である。

その頃トゥーサンは野崎氏に「もう二年間、次作に手がつけられずにいる」と語ったというエピソードもこのエッセイに出てくる。
「二ヶ月で十行」の『カメラ』冒頭とは、こんな文章である。

普段はこれといって何も起こらない、いたって穏やかな暮らしの流れの中で、たまたまある時、二つのことが同時にぼくの身近に起こったのだけれども、ただしそれらの出来事は、個々に考えてみるととりわけどうということのないもので、かといって一緒にして考えてみても、残念ながらそのあいだには何のつながりも認められないのだった。その頃、ぼくは車の運転を習おうと決心したばかりで、その思いつきがようやく自分にしっくりき始めたところに、郵便で知らせが届いたのである。久しく会っていない友だちからの、タイプライターで打った手紙で、そのタイプライターがまたかなりのおんぼろらしいのだけれど、中身は結婚の知らせだった。ところが、もし何か嫌なものがあるかと訊かれたら、ぼくとしては"久しく会っていない友だち"と答えたい。

われわれはみな外国人である―翻訳文学という日本文学 (五柳叢書)

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カメラ (集英社文庫)

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