ドノソ「夜のみだらな鳥」

よし今度は短編小説でなく長編にいこうと、力が湧いてはきたが、果たして最後までいけるだろうか。前から、まとまった時間が取れたら読もうと古書店で買い求めておいたドノソの「夜のみだらな鳥」。邪道かもしれないがラテンアメリカ文学はいつも解説(鼓直)から先に読む。あまりに遠い世界なので、手がかりになるものは何でも使って、しがみつこうと思うから。

ドノソがその作品のなかで繰り返し取り上げてきたのは、チリにおけるブルジョア階級の無残な頽落ぶりであり、その同じ閉ざされた社会の影の部分で主人の不潔な分身として蠢いている、召使という特殊な階層の女たちの生きざまである。(中略) それぞれが身内に深く秘めていて、ある出来事をきっかけに、たがいをへだてる階層の枠を越えて奔出するおどろおどろしいオブセッション、すなわち欲望や執念、妄執や怨念の具現者として内面から捉えられている。特権的な世界の崩壊をまざまざと予感することから生れる怯え。屈従的な身分を運命として従順に受け入れる一方で、それを激しく拒否しようとする意志。そしてそれに付け加えれば、不吉な死の影が容赦なく迫る老いの不安。幼く若い生命が宿している神秘な力へのあこがれ。いまある自分とは別の存在へ、という変身の願望。ドノソの作品に現れる人間たちは、ほとんど例外なしに、そうしたオブセッションに逃れるすべなく取り憑かれた者である。「夜のみだらな鳥」は、おおむね意識下にひそんでいる彼らの暗い情念がまさに怪鳥のごとく飛びかい鳴きわかす、闇の世界の完璧な表現だと言ってよい。

老人ムディートの独白によって形作られる「夜のみだらな鳥」は、ドノソが改稿四回、八年の歳月をかけて完成した代表作。まだ20ページほどだが期待感抜群。でも最後までいくエネルギーが持つかどうか・・・・

夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))

夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))