今日の短編(17) ウラジミール・ナボコフ「怪物双生児の生涯の数場面」

怪物双生児の短いが強烈な印象を残す一人語り。若島正新訳でナボコフ作品を読むと何かまったく新しい「日本語による不思議な作品」と接しているような感想を持つ。
たとえば冒頭でいきなりどきっとして引き込まれてしまう文章。

東洋の薔薇とも、白頭翁アヘムの真珠とも謳われた末娘は(それならそれで、あの爺いももっと大切にしてやればよさそうなものなのに)、道端の果樹園でぼくたちの父親に当たる不詳の人物に強姦され、出産後まもなく死んでしまった---恐ろしさと悲しさのあまりに、だと思う。ハンガリーの行商人だという噂もあれば、ドイツの鳥類蒐集家かその探検隊の一員だという噂もあった---剥製師あたりがいちばん怪しい。浅黒く、ずっしりとした首輪をぶら下げ、薔薇油と羊肉の臭いがするかさばった衣装をつけた叔母たちが、悪鬼のような熱心さでぼくたち怪物双生児の面倒を見てくれた。

ぞーっとするような野蛮、悪意、残酷さが物理的な臭いを伴って顕れる、なんとも凄い文章だと思う。サンリオ文庫版の旧訳では同じ部分がこういう文章になっている。

祖父の末むすめは「東洋のバラ」だの「白髪頭のアヘムの真珠」などといわれていた。もし、そうだったなら、あの爺いめ、もっと大事にすればよかったろうに! その娘が果樹園で男に犯された。犯した奴はだれだかわからないが、とにかくぼくらの父にあたる。娘はぼくらふたりを生むとまもなく死んだ---きっと恐ろしさと悲しさで死んだのだろう。犯人はハンガリー人の行商人だという噂もあり、ドイツ人の鳥類蒐集家かその仲間だという噂もあったが、どうやらそのドイツ人が連れてきた剥製師だったらしい。ぼくら怪物双生児の世話は何人もいる伯母たちが猛烈に熱をあげてしてくれた。肌の浅黒い、ネックレースをごてごてぶら下げた伯母たちで、がばがばかさばる服にローズ香水の匂いがした。

話の筋は同じだが、「謳われた」「道端の」「不詳の人物」「いちばん怪しい」「探検隊の一員」「薔薇油と羊肉の臭い」「かさばった衣装」「悪鬼のような熱心さ」という選び抜かれた訳語があることで、まったく印象の違う素晴らしい文章に生まれ変わっている。
若島訳「ロリータ」新訳は、大長編のすみずみまで、まったく同様の言葉の魔術が満載されて緊張の糸が切れない渾身の訳業である。

ナボコフ短篇全集〈2〉

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ロリータ (新潮文庫)

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