思い出の場所を訪ね歩いて思ったこと

1997年5月1日に独立してシリコンバレーで会社(MUSE)を作った。明後日でとうとう10年になる。
いい記念なので、この週末は土曜と日曜に分けて、アメリカにやってきて過ごした思い出の場所を、妻と二人で訪ね歩くことにした。
初めて一年間アメリカに住んだのは15年前のことで、その頃は会社勤めをしていた。サンフランシスコの住宅街のアパートに住み、毎日「1番線」というバスで通勤していた。昨日は、会社があったダウンタウンに車を置いて、あとは当時と同じようにバスでアパートと会社を往復してみたり、アパート周辺でよく散歩した通りを歩いたり、友人が来ると行っていた中華街の飲茶の店で食事をしたりした。街の隅々まで眺めては、変わったもの変わらないものは何かなどを考えながら歩いた。
今日は、12年半前にシリコンバレーに本格的に引っ越してきてまず住んだ借家、当時勤めていた会社のオフィスがあったパロアルト・ダウンタウン付近、十年前に初めて構えたスタンフォード大学内の小さな事務所やその周辺、その四年半後に移った二つ目の事務所、初めて買った家、ジャックが小さい頃に毎日通っていた「犬の公園」などなど。
そして驚いたことがあった。
会社勤めをしていた頃に関係あるところを訪ね歩くと「楽しかった思い出」ばかりが想起されるのに対して、会社を創ったあとの、特に最初の事務所や二つ目のオフィスの周囲を歩くと、何だか「苦い思い出」ばかりがよみがえって来て胸がつまるのだった。
なぜだろうと本当に驚いたのだ。昨日は「楽しいこと」ばかりを思い出して、心から楽しかったのに。それに、逆の印象が自分の中では強かったから。
会社勤めの頃のほうが、毎日苦しいことが多かったし、同僚や上司も含めてさまざまなものと戦っていた記憶が強い。そう思っていた。だから独立することにしたんだし・・・、独立したあとはすべて自分の責任で生きてきたからいっそすがすがしくて良かったと。
でもやっぱり独立後の「剥き身」で生きる中で、日々自分ひとりで決心することで生じてしまった人間関係にまつわる「苦い思い出」というのは、後悔もしていない「仕方のなかったこと」ばかりで、ふだんはすっかり忘れてしまっていたことなのにもかかわらず、場所の風景から次々にまざまざと「苦い思い出」としてよみがえってくるものなのだなあ。
十年も二十年も真剣にビジネスをやってくれば、自然と日々いろいろな軋轢を生むものである。でもやっぱり「会社という鎧」を着ていたときに起こした諍いや別離は、どこか逃げ場があって良かったのかな。双方が「会社のために良かれと思ってやったこと」だとあとからは思えたり「会社の中でそれぞれがある役割を担ったゆえに生じた亀裂」だったと思えたり、「剥き身で斬り合った」わけじゃないから、十年もの歳月が経つと、そんなことは、色々な瑣末な記憶とともに流れていってしまい「楽しかったこと」ばかりが残るものなんだなぁと。
でも「剥き身」の真剣勝負で追った傷は、夢中で疾走しているときは「小さな」傷だと振り返る余裕もなく忘れていき、戦い続けて何とか十年サバイバルした充実感をいま感じてはいるのだけれど、たぶんその代償に、そういう小さな傷が「苦い思い出」となって修復のしようもなく強く心の奥底に残るものなんだなあ。
なんか全く予想外の印象を持つに至った二日間であった。