大企業の今後、そこでの適性、それと「好きを貫く」こと

僕もモノを書くプロだし、ブログも4年以上真剣に書いているわけで、どういうテーマでどういう書き方をするとどういう反応が返ってくるか、というのはだいたいわかった上で、わざわざこういう一連のエントリーを書いているつもり。ブログだから本と違って「勢い」を重視していて、そのほうが物議をかもすこともできるから、そのほうが面白いだろうということも含めて。一部のコメントに対する答えになるかどうかわからないけど、けっこう真剣に若い人たちの「かなり広い層」のことを考えながら書いているということは、ここで表明しておく。
ウェブ進化論」の中で、日本という国は「いったん属した組織を一度も辞めたことのない人たち」ばかりの発想に支配されていて、それが問題だということを書いた。一連のエントリーのコメントのどこかで、「大企業に向く」要素って、「日本の教育システムで生き残る条件によく似ている」と書いていた人がいたが、じつは全くその通りで、日本という国は、上から下まで、そういうピラミッド構造がしっかり出来上がっているから息苦しかったのであり、例の諸条件にあまりあわないけれど本当は才能や潜在力のある人が生き難い社会になっていると僕は思っており、そこを何とかしなければという思いが強い。
どちらかというと、才能や潜在力が日本の社会システムゆえに封じ込められているのではないかと思われる人達に向けて、「好きを貫く」ことの重要さを伝えたいと思ってもいる。茂木さんとの共著「フューチャリスト宣言」でも詳しく議論したのだが、やっぱりウェブの進化は、個を強くする、個に力を与える方向性を持った革新的技術だ。自分の中に「好き」の核さえできれば、かなりのところまでは一人で突っ走っていける。そういうインフラがすべての人に開かれようとしているわけだ。ならば、大企業・大組織で長くやっていける適性(これまでの日本社会で強く求められていた適性)があまりない人達でも、何か「好き」の核を見つけることができれば、僕らの世代にはなかった可能性が開けるのではないかと思っている。
一方、大企業の今後を考えるに、日本の大企業だってグローバル競争という激変の中で、その中はとんでもなく大変なことになっている。たとえばトヨタは素晴らしい会社だが、トヨタで働くのは本当にきついと皆が言う。一般的にいって、ウェブの進化によって大組織がすぐにどうこうなるほど大組織ももろくはないが、小回りのきく新しいことは個や小集団の生産性がネットのおかげでおそろしく上がったため競争しにくくなり、やはり大組織は大組織ならではの強み、「巨大」ゆえにできることにフォーカスしていく傾向が強くなるだろう。そうなると、大企業適性を強くもたない、組織親和性の低い人達が淘汰される傾向が強くなる。その条件がこれから厳しくなっていくのだろうと思う。これは日本企業の経営の変化を間近で見続けている実感でもある。いまは大組織に勤めている人でも、特に「Whatへのこだわり」がかなり強い人の場合「好きを貫く」ことで全く違う可能性も開かれていくのではないか。
そんなことが、一連のエントリー(これからも続く)の背景にある僕の問題意識だ。