平野啓一郎「あなたが、いなかった、あなた」

平野啓一郎がこの三年間(パリ在住期間も含めて)文芸誌に発表してきた短編を集めた作品。発売と同時に取り寄せて読んだ。「スロー・リーディング」を心がけようと思い、一作ずつゆっくり読んでいたのでちょっと感想が遅くなった。彼のブログにこう書かれているように、

僕は、ここ数年刊行してきた短篇集を、いつも、音楽のアルバムみたいなイメージで捉えていました。冒頭、どういう作品を置いて、次にどう展開して、というのを、最初にアップテンポの曲を持ってきて、次にバラードで、みたいな感じで構成していたと思います。

個々の短編は色々な意味で多様で、僕の好みと必ずしも合致しないものもあったが、全体として、読後に充実感と満足感が残った。
十一編の中で僕が好きだったのは、冒頭の「やがて光源のない澄んだ乱反射の表で……/『TSUNAMI』のための32点の絵のない挿絵」、この短編集の中ではいちばん長い「『フェカンにて』」、そして「クロニクル」であった。
ベストは「クロニクル」かな。
ちなみに「あなたが、いなかった、あなた」という短編はなく、このタイトルは「アルバム」としての短編集につけられた名前である。彼のブログにその説明がある。

あなたが、いなかった、あなた

あなたが、いなかった、あなた

紙に印刷された本でなければできない表現を指向した冒険的な作品「女の部屋」と「母と子」は、多くの読者の感想を待ちたいが、僕は彼のオーソドックスな短編小説で形式・様式には十分満足しているのと、詩を読む習慣がないこともあって(特に「女の部屋」の場合)、十分にその冒険の効果が、一読では理解できなかった。時間を置いて再読してみよう。
対談をして共著の本を出すために濃密な時間を共有したことで、僕と平野啓一郎は友人になったわけだが、「あなたが、いなかった、あなた」読後に、読者ではなく友人としてつくづく思うのは、「総表現社会」化が避けられないこの時代に、彼のようにこれから五十年にわたって、小説を、しかも彼が書くようなタイプの小説を、生涯書き続けていこうというのは、おそろしく大変なことだなぁという感慨である。「ウェブ人間論」の中で、彼は、本はいずれなくなるのではないかという強い危機感を示し、僕は本というメディアの強さゆえの「本のサバイバル」を主張したが、仮に本が生き残るとしても「本とはどういう内容が書かれて印刷されたものとなるのか」はこれから長い時間かけての淘汰によって決まってくる。
小説を読むのが好きで、たぶん人よりかなり多くの小説を読んでいる僕でも、ネット上に溢れる市井の人々の日常生活を巡るきらりと光る言葉や短い文章に接する機会が多くなると、読者として小説に求めるもの(カネを出して買う、本という形になった小説に求めるもの)が少し変わってきていることに気づくことがある。当然、平野啓一郎も同じような問題意識を持っていることだろう。
「あなたが、いなかった、あなた」は短編集だが、彼は前掲のブログの中で、

僕のキャリアの第二期=短篇創作期もひとまず終了です。

と書いている。
「短篇創作期」を終えた彼がいま全力を投じているのは文藝誌「新潮」に連載中の「決壊」という長編小説である。連載の第四回までが発表されているが、長い長い小説になるのだろうという予感に満ちた、毎号次回が待ち遠しいと思える小説である。