毎日新聞夕刊「ダブルクリック」欄・第十二回(最終回)「総表現社会へ」

毎日新聞火曜日夕刊コラム欄の第十二回(最終回)です。

団塊の世代とは、昭和二十二 (一九四七) 年から二十四(一九四九) 年の三年間に生まれた世代で、その数八百万人にも及ぶ。来年は団塊の世代が初めて還暦を迎える年である。
拙著「ウェブ進化論」 (ちくま新書) で、私はこれからの社会を「総表現社会」と定義した。IT(情報技術 )とネットの進化によって、私たち一人ひとりが、自分の考えや作品を自由に世界に向けて発信できる時代がやってきたのである。二〇〇六年のブログブームは、その先駆けである。
本欄の読者をはじめ、世の中には、途方もない数の「これまでは言葉を発してこなかった」面白い人たちがいる。私は「ウェブ進化論」の書評や感想をネット上で一万以上読み、そのことを心の底から実感した。人がひとり生きているというのは、それだけでたいへんなことなのだと思った。
たとえばあるとき私は「これは凄い書評だ」と目を見張るような文章に検索エンジン経由で出合った。調べてみればそのブログ筆者は、膨大な量の読書をしながら内科医を三十年続けてきた団塊の世代の方なのだと知った。医学を修め、その後も人の生と死を見つめながら、六十歳近くまで思索を続けてきた市井の知が刺激的でないはずがないのだ。教養レベルが高く中間層の厚い日本社会には、そんな潜在知が満ち溢れている。
一般に、ネット世界への関心は、リアル世界での充実度や忙しさと反比例する。一日は二十四時間しかないのだから仕方のないことである。しかし定年退職というきっかけは、人々の時間の使い方の優先順位を大きく変える。リアル世界での日常に余裕が出た団塊の世代は、間違いなくネット世界で過ごす時間を増やし、いずれ「総表現社会」の重要な担い手になる。二〇〇七年は、その始まりの年になるに違いないのである。
(毎日新聞2006年12月26日夕刊)