YouTubeについて(3)

Business 2.0誌の「The coming Web video shakeout」
http://money.cnn.com/2006/06/20/magazines/business2/videoshakeout.biz2/
によれば、

The number of YouTube-like services now stands at a staggering 173 - and in April alone 3 outfits got $30 million in funding. Who will survive?

YouTubeのスペース(ウェブ上のビデオ関連サービスという競争空間)には173個ものサービスがひしめいている。

But with the number of services now at a staggering 173, including 85 that host and share videos, investors are starting to worry.

しかも、そのうち85個が、YouTube同様、ビデオをホストして共有できるサービスだ。
フォーサイト誌6月号「「九六年夏」にも似た未来創造への狂気が溢れる」
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u117.html
で、

確かに「Web 2.0」の定義は相変わらず曖昧だ。しかしその定義を議論し続けるのではなく、数百、いや千以上のベンチャーを本当に作って競争・淘汰させ、その中から一つでもいいからグーグルみたいな突然変異を生み、「Web 2.0」という概念が本当は何だったのかを実証してみよう、そのプロセスに全体として一兆円くらい張ってもいいんじゃないか、という気分がシリコンバレー全体に出てきた。
 グーグルへの投資で莫大な利益を上げたシリコンバレーの二つのベンチャーキャピタル、クライナー・パーキンス(Kleiner Perkins Caufield & Byers)とセコイア(Sequoia Capital)も、グーグルを脅かす新しいベンチャー群に、既に大金を張り始めている。こうなると、シリコンバレーの持ち味たる「未来創造への狂気」が、この地全体に溢れてくる。

と書いた(まさにセコイアが大金を張っているのがYouTubeだ)が、ビデオだけで150以上もできているのだから「数百のベンチャー」ではきかないな。Googleがやろうとしているスペースの一つひとつに、最低10個、多いところではビデオのように百以上のベンチャーがひしめくわけであるから。
そんな競合が激しいところで投資の成算はあるのか。
むろん勝者はほんの一握りで、大半は競争に敗れて消えていくわけだから、ほぼすべての個別投資はほとんどリターンがない。でも一つでもグーグルみたいなことになると、全体のリターンは格好がついてくる。Business 2.0誌の冒頭の記事で「投資家が心配し始めている」とあるのは、「負け組」に投資した金は戻らないだろうということ。

"It's not possible that this many video-sharing sites can exist and make money," says David Hornik of August Capital, a backer of video services company VideoEgg.

Video company CEOs like Mark Sigal of vSocial and Tom McInerney of Guba agree that a shakeout is coming. "There'll be a lot of casualties in the next year," McInerney predicts.

投資家や起業家たちのこうしたコメントも全くその通りだろう。来年はこのスペースから「casualties」(死傷者)が出る(よく戦争用語が使われる)。

And a content-sharing company the size of YouTube could easily be spending $5 million a year on bandwidth and hardware alone. "People underestimate the costs and overestimate the inventory," says one veteran Silicon Valley investor who has shied away from the space.

(1)で、ユーザ獲得という観点からGoogle Videoすら引き離してトップを独走しているYouTubeが、今はバンド幅コストに月に1億円程度かかっている話をしたが、この記事では、こういうサービスは、バンド幅とハードウェアだけで容易にその5倍はかかるだろうに、皆そのあたりの読みが甘い、という意見を紹介している。
ちなみにYouTubeのコスト構造について最初に報道したのはForbesのこの記事だったと思う。「Your Tube, Whose Dime?」
http://www.forbes.com/home/intelligentinfrastructure/2006/04/27/video-youtube-myspace_cx_df_0428video.html

Meanwhile the site's bandwidth costs, which increase every time a visitor clicks on a video, may be approaching $1 million a month--much of which goes to provider Limelight Networks.

またGoogle VideoYouTubeの比較という意味では「10 reasons why YouTube is better than Google Video」というブログ
http://customerevangelists.typepad.com/blog/2006/03/10_reasons_why_.html
をご参考に。
さて、YouTubeを巡って思うのは、将来こうしたビデオ視聴のスタイルが定着してきたときに、我々は手元に、録画したビデオやDVDのライブラリーを持とうと思うだろうか、ということである。
僕の世代は間違いなく「こちら側」に「溜め込む」世代だ。情報と出合ったらそれを手元に残す(本屋で面白い本を見つけたらその本を買い、大切な記事はコピーし、テレビで「また見たいかも」と思うような何かが放送されたら録画し・・・)というのが習い性になっている人が多い。でも「溜め込む」ことは「溜め込む」のだけれど、「溜め込んだもの」の何パーセントに再びアクセスしたかとなると心もとない。「溜め込む」こと自身で安心してしまう、という要素も大きかったと思う。「出合った情報」は、そのときに溜め込んでおかないと、二度と出合えなくなる、という強迫観念があったからではないかと思う。
これからは、「あちら側」に無限の情報が存在し、その検索性が高まり、なおかつネット上で人でつながっているので必要なら「誰かに情報を求める」というアクションも簡単に取ることができる時代である。欲しい情報のすべてが絶対に「あちら側」に存在するという保証はないが、かなりの確度で必要なときにアクセスできる(exactに欲しいものにたどりつけなくても似たような未知のものには必ずたどりつける)、と信じることができるようになると、人々の情報に対する行動は変わってくるに違いない。
時代の違いが大きいのだと思う。
同世代の友人がブログでこんなことを書いている。
http://d.hatena.ne.jp/muranaga/20060616/p1

20代半ばで、見逃した TV 番組を YouTube で検索して見る人がいるとのこと。そういう人はレコーダを使わない。情報を「所有しない」で「消費する」。ストックではなくフローで扱う。そういう人が増えてきているというのである。
僕などは TV 番組はレコーダーに録画して見るし、大好きな映画やドラマは DVD を買う。最近は「TSUTAYA にあるからいいや」と買うのを少し自粛したりもするが、「ネットにあるからいいや」とは考えない。音楽も同じで CD を買う。iTunes Music Store で楽曲を買うことはほとんどない。
YouTube 世代は、映像はネットにあるはずだから、思いついたときに(必要なときに)検索すればよいと考える。梅田さん流に言えば、情報は「あちら側」にあるので「こちら側」には置かない。もしこういう視聴スタイルが一般的になるのだとすると、またこういう世代が数年後の実社会で力を持ってくるようになると、消費者向け家電製品というのも、今とはまったく違うものになる可能性がある。下手をしたら家電メーカーの基盤そのものが根底から揺らぐこともあり得る。「家電と連携するネットサービス」というだけでなく、家電の機器機能そのものが Web2.0 的なネットサービスになるという話なのだから。僕自身は、そういう視聴スタイルについて、まだ半信半疑の状態なのだが…。

そう、僕らの世代の大半は、この新しい感覚に対して半信半疑だ。でも若いときからYouTubeを視聴して育つ世代は、情報は溜め込まずに消費し、必要なときにアクセスするのが当たり前になるのではないか。もちろん物凄い解像度で見ないと楽しくない映像は特別扱いされるだろうが、消費してしまえばいいやという程度の映像ならば、情報行動はそんなふうに変わっていくのではないだろうか。