若い人が自由な発想で挑戦できる風土、その挑戦が称賛される社会

将棋の羽生善治三冠が、週刊東洋経済のロングインタビュー「ネット社会を生きる奥義」
http://www.toyokeizai.net/online/tk/person/index.php?kiji_no=28
http://www.toyokeizai.net/online/tk/person/index.php?kiji_no=30
の中でこんな話をしている(後編の最後)。

――梅田望夫さん(ミューズ・アソシエイツ社長、『ウェブ進化論』の著者)とお知り合いとのことですが、梅田さんが取締役を務めている、はてなにも行かれたことがありますか。
 行っています。活気があるところですよね。どう言ったらいいんでしょうか。こういう言い方が適切かどうかは分からないですけど、奨励会の人たちが研究してすごく画期的な一手を生み出していくような雰囲気を感じました。将棋の世界も、結構そういうところがあって、プロではなくもっと若い人たちから出たものが認められて、それが結構大きな流行とか主流の戦法になったりするんです。
――それはちゃんとした競争があって、切磋琢磨しているとそうなるのでしょうか。
 たぶん、私は思うんですけど、やっぱり将棋の世界でも、トップに近い人はやはり「大きなリスクをとって画期的なアイデアを」というのはやりにくいんですよ。でも、若い人たちにはそれはないですから。
――羽生さんもびっくりするような手が出てくることが。
 ここ10年くらいはかなり画期的な作戦はいくつも出ました。「藤井システム」、「中座飛車」、「一手損角換わり」というものがそうです。これは昔やったら破門されていますから。内弟子の時代だとこれが王道の将棋だとかいうのがありますから、そんな手をやったら邪道、異筋、異端者扱いです。破門されることはないですけど、少なくとも叱責されることは間違いない。「そんなのやっちゃいかん」と。

はてなのようなベンチャーが世の中にないサービスを生み出そうと挑戦する姿勢と、将棋の奨励会の若者が画期的な新手を生み出そうとする姿勢が、雰囲気として似ていると羽生さんは、このインタビューの中でさらりと言う。
そして「この十年」くらいは、将棋のトップ・プロからではなく、若手から「画期的作戦」が編み出されてきた。将棋の世界はこれまで、「将棋の王道」という名の「常識」や「様式」に縛られ、若い人が何か自由な発想で将棋を指そうとすると「邪道、異筋、異端者扱い」され、「破門」されることはないまでも「叱責」される世界だった。でも最近は、若い人が自由な発想で挑戦できる風土に変わってきた。だからこういう変化が生まれたのだと羽生さんは考える。そこで、はてなの雰囲気と奨励会の雰囲気が似ているという話につながってくるわけだ。「この十年」の社会変化をドライブしてきたネットやITの革新が、将棋の世界に大きな影響を及ぼしたのだと羽生さんは見ている。
この話を読んだあと、「将棋世界」六月号をパラパラと読んでいたら、こんな文章に出くわした。

羽生将棋の中で特に印象深く、現代の戦法を語るうえで分岐点となった一局があります。平成六年の名人戦第一局です。この年、羽生さんは初めて名人戦の名乗りを上げました。その開幕戦で先手を得た羽生は、矢倉ではなく、5筋位取り中飛車を採用したのです。
これは棋士のあいだではちょっとした論議になりました。名人戦という格式ある大舞台で、居飛車党が先手で飛車を振るという作戦は、当時はまったく考えられないことだったからです。ある高段棋士など、「名人戦中飛車を使うとは、なんたることか」と怒っていたことを覚えています。(「勝又教授のこれならわかる! 最新戦法講義」P100)

平成六年(1994年)春の名人戦は、僕がまだ東京に住んでいて名人戦を衛星放送で見ることができた最後だった。ときの米長名人に23歳の羽生さんが挑戦したこの七番勝負は、記憶に生々しく新しい。でもこれを読んで驚いた。わずか12年前は、名人戦で若き挑戦者が先手で飛車を振っただけで、「論議」が起こり「怒る」人がいたという事実である。12年前の将棋界って、まだこんなに古かったんだなぁと再認識した。
羽生さんはこの名人戦に勝ち、ほどなくして史上初の七冠に輝き、将棋界の頂点を極めて将棋界の「常識」「様式」を壊し、今は若い人たちの自由な発想から「画期的作戦」が編み出される時代になったのである。
1994年、僕が日本を離れる決心をしたときに感じていた「日本の閉塞感」は、今とは比較にならないほどきついものだった。
それ以来、日本もだいぶ変わってきた。でも根幹のところはまだまだ古いままだ。将棋の世界も「盤上」にこそこのような技術革新が進んだが、産業としての将棋界は旧態依然として何も変化がない。産業界に目を転じても、局所的にはてなのようなベンチャーが生まれやすい風土には変化してきたけれど、ベンチャー群の台頭を社会全体として称賛するまでの変化が日本社会に訪れているわけではない。「若い人が自由な発想で挑戦できる風土、その挑戦が称賛される社会」に、日本がゆっくりとでも変化すればいいと思うが、まだまだ時間がかかるのだろう。そういう風通しのよい社会が実現され、若い人たちの閉塞感が少しでも払拭されるよう、できることを少しずつでも、やっていきたいと思う。