「グーグルをどう語るか」を巡って(2)

竹熊さんからトラックバックをいただいた。

要するに、同じようなトラブルに対して、個人と企業相手では違う対応をしているのではないか? という疑念が、どうしても私には拭えないわけです。
こうしたグーグルのダブルスタンダードの可能性については、佐々木さんの『グーグル』でも触れられていたと思いますけれども、実際の所はどうなんでしょうね。
これはグーグルに対する個人的疑問として提示しておきます。

全くその通りのことが起きています。
しかし、グーグル開発陣は(つまり経営陣の大半も)、そういう問題対応のやり方自身について、実はあまり関心がないのではないかと僕は想像しています。
一つ前のエントリーで

「適当にローカルオフィスで何とかしておいてね。でも、そんなことのために組織作ったりするなよ。予算も使うなよ。だって来年にはシステムがうんとよくなって、そんな問題が発生する確率は下がるかもしれないからね。じゃあ、よろしくー」が、グーグル開発陣の感覚なのである。

こう書きましたが、グーグル開発陣の感覚は、「リアル世界での軋轢の処理はスーツ側に任せるよ。軋轢をミニマムにするように、スーツ連中が適当に判断してやってくれていい」という感覚があるのではないかということです。
ギーク連中は、リアル世界とできるだけかかわりたくないと考える傾向にありますから、こうして、その部分の判断はスーツ側に任されます。
それで急に、リアル世界の「普通の常識」、つまり個人よりも企業のほうを先に対応しよう、という「その場しのぎ」的な「凡庸な対応」が姿を見せるわけです。
グーグルを愛していた人ほど、こういう凡庸な対応をグーグルからされると、「こんなのはグーグルじゃないだろう」と思うわけです。これは米国でもグーグルが大きくなってから常に起こっている問題です。
ただ、そういうことがいたるところで起きていても、グーグル開発陣は、まぁもうすぐそういう問題も根源的に解決するからさぁちょっと待っててね、というような感じで開発を続けるわけです。
そこで、Danさんの問題意識とつながってくるわけです(Danさんからもトラックバックをいただいた)。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50466930.html

その観点から見ると、Googleというのはあの巨大な時価総額に関わらず、プロになり切れていない会社である。それが最も表れているのが、この exception handler の実装だ。

Googleに対して一番厳しい目を向けているのは、例外処理が何たるかを最も知っている人たちなのだということを、彼らは知っているのだろうか。

だからGoogleは甘ちゃんなのである。例外は沈静化(neutralize)や最小化(minimize)は出来ても、消滅化(annihilate)は出来ない。

その通り。これが現代の常識です。
グーグルはそういう常識を、常識として受容しようとしない。
特に今は「万能感」に満ちているから、彼らはそういう常識を超えようとする。少なくとも「人力での例外処理」は絶対にしたくないと考える。

だから、Google、というより「梅田望夫が思い描くGoogleがそうなるかも知れないシステム」がやらなければならないのは、システムに例外が起らないようにすることではなくシステム自身に例外を処理させるようにすることなのだ。

その通り。僕も、グーグルのシステムは、たぶんそういう方向に進化していくんだろう(もしうまくいけば)と期待しているのだけど、むろん色々な意味での「いたちごっこ」はかなり長い間、続いていくだろう。