虚業という言葉について

サンデープロジェクトでは、実業か虚業かとかいう無意味なテーマが話し合われ、その中で僕の本も紹介されたらしい。
虚業
嫌な言葉だなぁといつも思う。嫌な言葉のわりに、日本の製造業系、重厚長大系の企業幹部は、この言葉をとてもカジュアルに使う。自分たちがやっているのは「実業」だけど、君がやっているのは、たかが「虚業」だろう、というふうに人を見下すのである。
「君もそろそろ虚業を卒業して、実業の経営をやる時期なんじゃないかい」
こんな言葉をいつも投げかけられてきた。
僕は二十代後半から米国のコンサルティング会社に勤め、シリコンバレーコンサルティング会社を興して八年になる。経営コンサルタントという職業に誇りを持ち、プロフェッショナルとして仕事をしてきたし(そろそろ二十年)、自分が興した会社にも誇りを持っている。
それで、あるときからこういうルールを自分に課した。
それがどんな公式な場であれ、僕の事業に対して「虚業」と言った人には、相手がどんな偉い人でもその場で「その虚業という言葉は、死ぬ思いで会社を興して経営している人間に対して、とても失礼な言葉なんですよ」ということをこんこんと説明した上で、きちんと謝罪を求めるというルールだ。日本のエスタブリッシュメント社会において、こういう反応は「職を辞す」(委員をやめる、コンサルティング契約を破棄する)覚悟を伴う。だから、腹が相当すわっていないと、その場で瞬時にそう対応するという判断ができない。それで悔しい思いを何度もしてきたから、心の中にルールを作っておくことにしたのである。
むろんオフィシャルな委員会のような席や、その後の懇親会の席で、ものすごく偉い人に向かって、僕がこういう強い反応をすれば場が凍りつく。でもときにそういうことをしなければ、「虚業」という言葉がどんなに無礼な言葉なのかに、彼らは気がつかないのである。
日本のエスタブリッシュメント社会に素晴らしい人たちがたくさんいるのは事実なのだが、おそろしく頑迷な人々(過去の成功体験がその頑迷さを強固なものにしている)が組織の中で力を握っているところが多い。「虚業」という言葉は、そんな日本社会の風景を象徴する言葉なのである。