Web 2.0時代を生きる英語嫌いの若い人たちへの英語勉強法:親切バージョン

昨日のエントリーは、ぜんぜん時間がなかったので簡潔に書いたが、やたらとブックマークする人が多く、英語は皆、悩んでいるんだなぁと思った。それで「親切バージョン」を書くことにする。昨日の冒頭で書いた「英語があんまり好きじゃないけど、専門のことについては好き嫌いはともかく英語を道具として使いたい」は、昔の僕自身のことだ。
だいたい、昨日のエントリーを読んでブックマークした人は英語がそんなに得意じゃないんだろう。そういう人は次のことをまず認識したほうがいい。

  • 今の自分の英語力では、これから相当長い時間をかけて真剣に勉強しなければ、とてもじゃないが一人前になれない。
  • でも、子供の頃から英語の勉強はもう十年以上やってきているわけで、それでこの程度なのだから、いまさら学校英語の勉強のようなやり方をして、単語を覚えたりし始めても、きっとダメだろう。
  • 仕事や専門の勉強が結構忙しいし、カネもかかるから、英会話学校などに集中的に行く時間がないとすれば、細切れの時間をうまく使って独学しなくてはならない。

そういう人はまず、「英語」という漠然とした概念は、捨てたほうがいい。もちろん「英語」の基礎体力というのは最低限必要である。でもそのレベルに達している日本人は実に多い。 問題となる「その先の英語」は、実に細かく専門分化していると考えるべきだ。「シリコンバレーでグーグルの技術について話すための英語力」と「字幕なしでスターウォーズロード・オブ・ザ・リングを理解するための英語力」と「獣医に行って犬の病気やケガについて相談するための英語力」と「ラジオから流れる野球中継を完全に理解する英語力」は全く違うということだ。
「英語が上手になるためには、ネイティブのガールフレンドがいたほうがいい」とか「部屋に居るときはいつもいつも、わからなくてもいいから英語が流れているのがいい」なんていうのは、みんな嘘である。「英語」を漠然ととらえて、したり顔で語られるメッセージの大半は嘘だと思ったほうがいい。自分が必要とする英語が何なのかを明確に具体的に定義した上で、「そのための英語力をつけるための努力をする」以外に英語の上達法はない。特に英語嫌いの人にとっては。
一つの山の頂に到達するためには、それなりの道がある。けれど同時に、その山を登りきっても、別の山に登ったことにはならないということも自覚しておかなければならない。だから、英語を実践で使わなければという急な要請を持つ人に、間違った山を登っている暇はないのである。昨日のエントリーのトラックバックの中に、僕が推奨する勉強法に近いことをやっているがTOEICの点が上がらない、と書いていた人がいたが、TOEICの点を上げるにはTOEICの点を上げるための勉強をしなくちゃいけないのである。
さて、仮に「本欄読者が必要とする英語」を、「自分が面白いと思っているネット世界の最先端の話ができて(英語で話す人の話も理解できて)、自分がそれに関連してやっている仕事や開発しているサービスや勉強していることについて、いっぱしに英語で説明ができて、仕事や勉強にいいフィードバックがかかること」と定義すれば、その目的にあった勉強に特化しなくちゃいけない、ということである。そこでようやく昨日の簡潔なエントリーの三つのステップになるわけだ。

(1) Web 2.0/次の10年/Open Source/Google/Longtailみたいなネット関連の最新動向について、質の高い論考をたくさん読み、自分が実際に使うかもしれないなぁと思うような語彙を増やすとともに、借用できそうな文章を抜き出して、それら(英文)をできるだけたくさん暗記すること。
(2) (a)話す相手としてネット世界にあまり詳しくない人を想定して、そういう最先端の世界で何が起こっているのか、(b)話す相手としてネット世界に詳しい人をイメージして、自分は何をやろうとしているのかを、それぞれ、簡潔な日本語で説明できるようになること(日本語ですらろくに説明できないことを、英語で説明できるはずがないから)。
(3) そしてその日本語でできるようになった説明内容を、(1)で暗記した英語の文章もうまく借用しながら、英語で簡潔に説明できるようになること。

だいたい英語のネイティブ・スピーカーだって、ティム・オライリーの最新論文のいちばんいいところを抜き出して暗唱したりしている奴はいないよ。だから日本人が、自分のやっていることを説明する中で、オライリーの文章をそのままはめ込んでしゃべったら、おっ凄いなこいつ、ってことになるでしょう。とにかく「自己紹介だけは徹底的にうまくなること」と「自己紹介に関わる想定質問には、うまい返答を用意しておくこと」が大切だ。そうやって「こりゃあ面白いぞ、いけるぞ」って感じられるような経験を積んでいかないと、英語嫌いが英語の勉強を続けることはできないのだ。
ある種の「英語」が理解できない大きな理由は、固有名詞と専門用語、つまり背景知識にある。英語の構文が追えても、名詞が理解できないとどうにもならないからだ。難しい言葉でいえば、Domain Knowledge(その領域についての知識)の必要性という問題である。日本ではこのことの重要性がきちんと語られていない。
英語が上手だと自認して、人に「英語をどう勉強したらいいか」を語る人の大半が、「自分がどういう英語ができないか」を正直にディスクローズしていないように思う。だから、「そこそこ「英語ができる」人は、「細分化されたすべての分野での英語ができる」人なのではないか」という幻想が作り出されている。それによって、これから英語を学ぼうとする人の自信を喪失させたり、目的と合致しない英語の勉強を強いるという事態が引き起こされているように思う。
特に学校で英語がとりたてて好きだったというわけでない人は、何でもいいから、自分が熱中できること、どうしてもしなければならないこと、その領域を選んでDomain Knowledgeを持ち、そのことについての英語力だけを身につける努力を、まずするべきなのである。
(Disclosure) この文章は、2001年夏に日経BP社サイト連載向けに書いた「シリコンバレーで通用する英語の修行法」(1)-(3)という文章を加筆修正して今風にアレンジしたものです。僕の経験談という意味では、こちらの元の文章のほうにもう少し詳しく書いてありますので、興味のある方はそちらもご参照ください。
http://www.mochioumeda.com/archive/biztech/010730.html
http://www.mochioumeda.com/archive/biztech/010806.html
http://www.mochioumeda.com/archive/biztech/010827.html