勉強になる反応(トラックバック等の中から)のご紹介

まずは「カウンセリングルーム:Es Discovery」の「キャリアデザインと主観的選好を巡る大企業志向とベンチャー志向の価値認識の差異」から。僕がいつも凄いなあと思いながら読んでいるブログ。じつに面白いので是非ご一読を。

大企業志向の人が『好きを貫くこと』よりも『大企業に入社すること』を選好する理由の一つが、『好きを貫くこと』が主観的選好なのに対して、『大企業に入社すること』が客観的選好としての特徴を強く持つからです。

職業選択に際して仕事の内容に対する好き嫌いも考慮しているでしょうが、『自分だけが好きなもの(他者との競争がないもの)』よりも『大多数の人が評価しているもの(他者との競争があるもの)』を目指すことに価値を見出す傾向があれば、ベンチャーよりも大企業(国家・官庁)に魅力を感じるということになりそうです。厳密に言えば、ベンチャーのほうが入社後(立ち上げ後)の他者(他社)との生存競争が過酷なのですが、エリート志向というのは加入儀礼としての難関試験を突破して、後は他者よりも優遇される『特別な優遇措置』を得ようとする動機を内包したものだと言えます。

職業選択におけるエリート志向(大企業志向)は、基本的に、アーティスト志向(好きを貫く志向)と拮抗する関係にあります。エリート志向というのは、外向的な行動様式で『数が限定されたポスト(地位・資格・合格)』を争い合って勝利を目指すものであり、アーティスト志向というのは、内向的な主観的選好を貫いて『他人とは違う舞台』で自己の独自性(アイデンティティ)を模索しようとするものです。

僕が直感で提起した9つの大組織適応素質を、「カウンセリングルーム:Es Discovery」では、論理的に美しく7つに再構成してくださっている。

1. 他者との協調性や貢献意欲があり集団適応性の高いタイプ(個人的な興味や選考を抑えて、集団の目的に没頭できるタイプ)

2. 主観的選好よりも客観的評価を優先するタイプ(みんなが好きなものや評価するものを好きになれるタイプ)

3. 会社を自分の家のように思って、毎日の長時間労働を厭わない体力のあるタイプ(時間単位で仕事をきちりと区切りたいアルバイト感覚のないタイプ)

4. 組織でのリーダーシップを握って目標や責任を達成するという権力志向のあるタイプ(集団に献身した結果としての地位やパワーに魅力を感じるタイプ)

5. 決められたルールに従ったゲームに強いタイプ(みんなが参加しているゲームに勝利したり協力できることに興奮できるタイプ)

6. 長期的な安定した生活を志向するタイプ(将来設計・老後設計が可能な福利厚生の充実などを大切にするタイプ)

7. 今を耐えることで未来の見返りに期待するタイプ(公務員などある程度終身雇用が確保されており、退職金や年金など未来での見返りが「他の選択肢」より期待できるとするタイプ)

さてこの7項目だと、あなたはどこに◎をつけるだろう。
さて次は、id:ktdiskの「大企業における20/80の法則」である。ktdiskとは面識があり、彼が勤めている会社は超優良グローバル企業であるが、内部からの報告はじつに勉強になる。

梅田さんは古典的な日本の大企業を想定されて書かれているので、私の所属する外資系大企業は少し趣が異なるが、

と前置きがあるが、確かに僕は「古典的な日本の大企業」をイメージしながら書いており、外資系巨大グローバル企業と日本の大企業は風土がかなり違う。でも日本の大企業についても彼が書く分析があてはまる点が多い。ぜひ全文をご一読を。

最後に、大企業に勤める人にかかる「税金」について話をしたい。大企業の「上位20%の人」を目指す人は、下記の2つの大企業税を納めることを受け入れなければならないというのが私の大企業観。

 大きな仕事をしようとすればするほど、社内官僚組織に対して多くの時間を使わなければならない
 達成した成果から生み出される利益の大半は、自分の懐ではなく組織にぶら下がる人に吸い取られてしまう
前者について言えば、SOX法施行以降、飛躍的な上昇を見せており、本エントリーでは詳述しないが、後者の要素とからまりスパイラルに上昇している点がなんとも物悲しい。これは私が外資系企業に勤めているということもあろうが、その衝撃は近いうちに日本の大企業に押し寄せるだろう。

また、後者について言えば、規模が大きくなればなるほど、意識的かつ意欲的に組織にぶら下がろうとする人が増え(ぶら下がることに職業意識を持っている域に達しておられる方もいる始末)、日本のような利益を上げている限りレイオフ・リストラなんてとんでもないという経営環境においては、そういう人は見ないようにする以外ソリューションはないのが現実。

上記の2つの税金は規模に対して必然的に発生するものなので、これは大企業に勤める人は程度のさこそあれ受け入れなければならない。「その程度の税金負担は大企業の潤沢なリソースを利用するためには当然であり、まったく惜しくない」と思える人は大企業に向いており、「「好き」はさておき「嫌い」への対応に相当な時間をとられることに耐え切れない」と思う人は大企業には向いていないだろう。

特にこの最後のパラグラフは、じつに示唆に富む指摘である。
そして、「横浜逍遥亭」の中山さんの「大企業に勤める」。
ご自身の適性の分析やさまざまな組織に所属した経験を踏まえた大企業論。ぜひご一読を。

大企業の人材の厚み、ノウハウの蓄積はすごいものがある。ぜんぜんすごくない奴もたくさんいるが、それと釣り合うぐらい、この人は頭がいい、切れるという人がかなりの数いて、この人たちの多くが梅田さんが書いているとおり、周囲のなかで自分の役回りをきちんと認識して質振る舞うことができる人間的に大人の体質なのだから強い。その空間は思いの外対人間的な面で柔らかい部分もあり、社長なり部門長を頂点とする家父長的大家族制度といった趣がある。僕は若い頃から大企業という言葉にネガティブなイメージを重ね合わせてきたから、「けっこういいとこじゃん」と意外に思う。ワンマンなトップに振り回される中小企業よりも居心地がいいというケースはむしろ多いだろう。

そして最後の一文は、親としての中山さんの言葉で、とても共感する。

ともかく向き不向きは大きい。たとえば、うちの大学二年生を筆頭にした子供たちを考えると、長男はそれなりに大企業の勤めにも耐えるだろう。こやつは今体育会所属。二人目は根性があるからやらなければならないとなればきっちりやるが、まったくもって企業向きではない。三人目はまったく向かない、できない。人間向いている仕事がある。今の時代、子供たちには好きなことが見えにくくなっている面なきにしもあらずだと思うが、親としてみると少なくとも向かない方面の仕事に就くことのないよう舵取りをしてあげることが最低限の務めだろうなとは思っている。その先で自分の「好き」を自分の努力で見つけてくれれば言うことない。

続いて「codemaniaxの脱・公務員宣言」から。「もっちー、大企業を語る
彼のブログもいつも楽しみに読んでいるのだが、

正直言うと、僕は梅田氏が言う「大企業に対する適性」について、ほとんどが「No」なのです。多分、僕を知っている人は分かっていると思うのですが。ハッキリ言って大企業には向いてない。それは入社する前もそうだったし、三年経った今も同じです。「好きなこと」にも「仲間」にもこだわりたい。

じゃぁ、なぜ今大企業にいるのかというのは、話せば長くなるのだけれど、まぁ要するに大企業を知らずに仕事をしていくのはもったいないなー、と思ったからなのです。若い人たちは「(自分なりの)バンテージポイント」という観点で最初の職場を選ぶのも悪くはないと思います。はい。

大企業に入って、実際に日常を過ごしてきて、いいところも悪いところも分かってきたつもりですし、じゃぁ次の三年間はどうやって過ごしていくか。僕も、死ぬほど働けるのはあと5年くらいでしょうし、いろいろと考えるところがあるのは事実です。「若い時期は我慢しろ」という時代ではないのは、それはその通り。我慢しているうちに取り返しがつかなくなるかもしれないですしね。

このエントリーだけからではないけれど、彼は「好きで飯を食う」ことにじつに「意識的で戦略的」な人だと思う。
そして、「○○的なSomething」の「豪華客船に乗るべきか、水泳力を鍛えるべきか」。

豪華客船に乗って快適な船旅をしてもいいだろう。きっと大波も台風もなんとか耐えられる。タイタニックは沈んだがきっと大丈夫だ。沈むにしても時間がかかる。

体を鍛えて、泳いで海をわたろうとしてもいいだろう。泳ぎだした直後に大波にさらわれてしまうかもしれないが、乗り越えたら鍛えられるだろう。

一番いけないのは豪華客船で運動せずに肥満になること、自分の体調を考えずに寒中水泳をすることだろうか?

これは面白い!
つづいて、「What Serendipity comes ?」の感想

私は好きなことをするよりも苦手を克服するほうが喜びが大きい。現状に不満や怒りを抱くよりも、どう現状を改善するか・折り合っていくかの方に関心がある。特定のものへのこだわりより、広くものを知る方を好む。

 もちろんこれはベンチャーでも可能なところなんだろうけど、「What」より「How」に注力したい者にとって、大企業って適当なのだと思う。あと、「大企業は会社の看板で仕事しているようで肩身が狭い」「ベンチャーは自分の実力で仕事しているようでカッコイイ」みたいな思い込みがあったのは確か。

 このエントリーのお陰で、大企業で仕事をする意味を客観的に示してもらえたような気がします。

この「What」より「How」というのは、大企業も含むビッグビジネスの世界ではすごく重要な話で、前のエントリーでも書いたどんな企業でも経営できる「CEOタイプ」の人達も皆そういうところがある。
関連して、僕のエントリーとは独立に書かれたものを一つ。「ネット生保」立ち上げに邁進している岩瀬大輔の「新社会人の皆さんへ」。彼はハーバードビジネススクールで日本人で久しぶりにベーカー・スカラーを取った俊才だが、この新社会人への激励の言葉に「Whatへのこだわり」は出てこない。たとえばこんなふうに。

これから色々な仕事に挑戦していく上では、「この仕事つまんないなぁ」と思い込むのではなく、「どうやったらもっと楽しくできるだろう」という姿勢でいることが、大切だと思う。ちなみに、僕はいつも自分がやっている仕事が「楽しい」と思える得な性格だった。例えばコンサル時代、周囲からはつまらながられた「作業用手袋メーカー」のプロジェクトでも、自分で作業用手袋の商品ラインを机の上に並べて、両手にはめてにやにやしながらパソコンに向かっていたのを記憶している。

同じ起業家でも、「CEOタイプ」の岩瀬君は「さまざまな領域を調べ尽くして、最もチャレンジングでチャンスも大きい」と踏んで「ネット生保」を勝負の場に選んだけれど(楽天の三木谷氏もそうだったと記憶する)、典型的な「アーティスト・タイプの創業者」はてな近藤淳也は、のめりこんでいく対象がまずは「自転車」、そして「写真」、そして「ウェブ・サービス」と、徹底的に「What」にこだわっていく。二人ともよく知っているが、おそろしく対照的だ。
最後に、
「Good-bye, My Halfway Life. :-) 荒野の直球ストレート」の「自分の好きなことの追求、向き不向きと向かい合うこと、そして大企業で働くということ」から名文を引用する。大企業の魅力と「好きを貫く」ことの両立の難しさについて、実感がこもっている。

大企業へ入社したが、自分には合わないと感じてしまった人へ。

大企業は一度入社してしまうと、否が応でも会社の波に巻き込まれる。合わないと感じても、とりあえず数年は頑張らないと転職するにも認めてもらえなさそうと思い、居続けることを選択する人もいるだろう。でも、数年頑張ってもおそらく充実感はない。(仮に社内での評価が良かろうとも)それよりも、好きを追求し続けている同世代と広がり続けるギャップにへこむ事の方が多い。

会社で好きなことができなかったら、帰ってから頑張ろうと考えても、大企業はそんなに暇ではない。頑張っても一日中好きに没頭している人にはなかなか追いつけない。

結局、合わないと早期に気づいた人はとてもラッキーで、思ったら即実行で辞めることだ。居続ける事を選択し、数年経ってしまった人は今からでも遅くない。

こうはいうけど、自分がまさに後者だったりする。大企業最大の魅力は人がたくさんいることで、素晴らしい関係を築ける同期もたくさんいることだ。その出会いは間違いなく人生でかけがいのないもであり、失うのは恐い。

しかし、それと自分の好きを追求することは別なんだ。自分は1977年生まれで今年で30になるわけだが、歳を重ねれば重ねるほど、自分の好きを追求できない環境で好きを追求するのは難しくなる。本当は難しくないけれど、歳を重ねると色々なものを抱え込んでしまうから、自分で難しくしてしまう。

結局、一番大事なことは自分の好きを真剣に追求すること、真剣に向かい合うこと、そこなんだと思う。その結果、大企業を選択すること、転職を選択すること、居続けることを選択すること、ベンチャーを選択すること、起業を選択すること、家業を継ぐこと、ニートになることなどなど、何を選択してもそれはきっとベストだ。一番残念なのは、全てをなんとなく過ごすことだ。

ここでリンクしたエントリーは、本当にすべて全文読む価値があると思う。

大企業の今後、そこでの適性、それと「好きを貫く」こと

僕もモノを書くプロだし、ブログも4年以上真剣に書いているわけで、どういうテーマでどういう書き方をするとどういう反応が返ってくるか、というのはだいたいわかった上で、わざわざこういう一連のエントリーを書いているつもり。ブログだから本と違って「勢い」を重視していて、そのほうが物議をかもすこともできるから、そのほうが面白いだろうということも含めて。一部のコメントに対する答えになるかどうかわからないけど、けっこう真剣に若い人たちの「かなり広い層」のことを考えながら書いているということは、ここで表明しておく。
ウェブ進化論」の中で、日本という国は「いったん属した組織を一度も辞めたことのない人たち」ばかりの発想に支配されていて、それが問題だということを書いた。一連のエントリーのコメントのどこかで、「大企業に向く」要素って、「日本の教育システムで生き残る条件によく似ている」と書いていた人がいたが、じつは全くその通りで、日本という国は、上から下まで、そういうピラミッド構造がしっかり出来上がっているから息苦しかったのであり、例の諸条件にあまりあわないけれど本当は才能や潜在力のある人が生き難い社会になっていると僕は思っており、そこを何とかしなければという思いが強い。
どちらかというと、才能や潜在力が日本の社会システムゆえに封じ込められているのではないかと思われる人達に向けて、「好きを貫く」ことの重要さを伝えたいと思ってもいる。茂木さんとの共著「フューチャリスト宣言」でも詳しく議論したのだが、やっぱりウェブの進化は、個を強くする、個に力を与える方向性を持った革新的技術だ。自分の中に「好き」の核さえできれば、かなりのところまでは一人で突っ走っていける。そういうインフラがすべての人に開かれようとしているわけだ。ならば、大企業・大組織で長くやっていける適性(これまでの日本社会で強く求められていた適性)があまりない人達でも、何か「好き」の核を見つけることができれば、僕らの世代にはなかった可能性が開けるのではないかと思っている。
一方、大企業の今後を考えるに、日本の大企業だってグローバル競争という激変の中で、その中はとんでもなく大変なことになっている。たとえばトヨタは素晴らしい会社だが、トヨタで働くのは本当にきついと皆が言う。一般的にいって、ウェブの進化によって大組織がすぐにどうこうなるほど大組織ももろくはないが、小回りのきく新しいことは個や小集団の生産性がネットのおかげでおそろしく上がったため競争しにくくなり、やはり大組織は大組織ならではの強み、「巨大」ゆえにできることにフォーカスしていく傾向が強くなるだろう。そうなると、大企業適性を強くもたない、組織親和性の低い人達が淘汰される傾向が強くなる。その条件がこれから厳しくなっていくのだろうと思う。これは日本企業の経営の変化を間近で見続けている実感でもある。いまは大組織に勤めている人でも、特に「Whatへのこだわり」がかなり強い人の場合「好きを貫く」ことで全く違う可能性も開かれていくのではないか。
そんなことが、一連のエントリー(これからも続く)の背景にある僕の問題意識だ。

自らの傾向や「向き不向き」に向き合うこと

自分の「好き」を発見するのは難しい。自分で「好き」だと意識していないことが実は「好き」だったのだと何年もたって発見することもある。「継続できる」というのは「好き」の証明であり、何事においても「継続できる」ことが、何かを成し遂げるためにはとても大切だ。それは大企業であれベンチャーであれ自営業であれ研究者であれエンジニアであれ、同じこと。自分が意識していない自分の傾向も含め「向き不向き」ときちんと向き合い続けることの重要さを、僕は指摘したいのだ。そのためにここのところ、色々と書いている。
僕が昨日のエントリーで「大企業に入っても「好き」を貫くこと、つまり「継続する」ことができる」素質の候補をいくつか挙げた。どういう読み方をされてもかまわないのだが、たとえば就職を控えている学生が、自分が「大企業に入っても辞めないでいられる」かどうかの思考実験の道具の一つとして読んでもらってもいいかと思う。大企業に入ってもすぐに辞める人が増えていると聞くし、僕が社会に出た八十年代半ばに比べると、大企業以外の選択肢も社会にずいぶん増えてきたから、学生がいろいろと迷うみたいだ。日本の大企業ってどんなところなのだろう。皆いろいろなことを言うがよくわからない。そんな悩みをよく聞く。
この二十年、日本の大組織の観察や研究を僕はずっと続けてきた。クライアント企業の仕事仲間や自分の友人たちや先輩たちの仕事ぶりを眺めながら、ひょっとしたら「そこに居たかもしれない自分」が、その世界で果たしてやっていけたのだろうかと自問し続けていた。昨日のエントリーはそういう思考の集積のエッセンスの一部である。
新人が大企業の洗礼をまず受けるのは「配属」である。何年か先には「転勤」とか「配置転換」とかがある。それがずっと繰り返される。「配属」「転勤」「配置転換」された先によって、仕事の内容も違えば、住む場所も違えば、上司も違えば、周囲の人々も違う。ゼネラリストとスペシャリストの違いは若干あるが、これだけグローバル化して先が読めない時代に入ると、わが身にはその組織が対象としている仕事に絡むどんなことでも起こり得る、くらいに覚悟しておいたほうがいいのだろう。僕くらいの年になっても、いきなり全く未経験の部や事業部を任されたり、行ったこともない国に突然住んで働くケースもある。
色々な意味で「好き嫌い」の激しい僕のような人間は、これだけで戦々恐々としてしまう。自分の「専門性」というのをがっちり固めて、できるだけ「嫌いなこと」をしないでいられる場所を探そうと若いときに考え、日本の大企業には就職しなかった。でも全くそういうふうに考えない人も、友人たちの中に多かった。どちらがよいとか悪いとかではない。これは傾向、向き不向きの問題である。「配属」「転勤」「配置転換」「別の組織への昇進」のような「他者による自分の生活や時間の使い方の規定」を、「未知との遭遇」として心から楽しめるかどうか。そこがかなり大切になる。

  • Whatへの「好き嫌い」やこだわりがあまり細かくなくおおらか。一緒に働く人への「好き嫌い」があまりない。そして苦手(つまり「嫌い」)を克服するのが好き。
  • 与えられた問題(課題)を解く(解決する)のが好き。その問題(課題)を解く(解決する)ことにどういう意味があるかとかよりも、その問題が難しければ難しいほど面白いと思う。
  • 「これが今から始まる新しいゲームだ」と「ルール」を与えられたとき、そのルールの意味をすぐに習得してその世界で勝つことに邁進する、みたいなことが好き。
  • 短期決戦型勝負よりも長期戦のほうが好き。

あたりの要素に◎がつく人は、こういうことでは挫折しない。辞めたいなどとは思わない。むしろ楽しいと思える「傾向」にある。ゲーム好きのアングロサクソンの連中が、アメリカの「CEO」タイプ(どんな領域の会社でも経営できる、領域が好きだ嫌いだなどというこだわりは全くない)でけっこういるが、彼らは「新しいゲームのルール」が提示され、そこに存在する難題が提示されると、もう人生のすべてを没頭するような感じで、その解決に取り組み、そのプロセスを楽しむ。ゲームが好きなのだ。そのゲームが何であれ。
次に新人が洗礼を受けるのは、大企業の「巨大さ」である。その「巨大さ」の中で個の「無力感」を感じてしまうか、その「巨大さ」を楽しめるかどうか。ここもとても重要である。組織は「巨大」であるゆえ、ほぼすべてが「チームプレイ」になる。よってその人が「チームプレイヤー」であるかどうかが、挫折したり幻滅したりしないためには、とても重要になる。体育会出身の人達がじつにうまく日本の大組織にフィットするのは「チームプレイ」ということと相性がいいからだろう。「自分の名前で仕事がしたい」という、どちらかというと芸術家肌というかそういうタイプの人は、このあたりで悩むことになる。むろん飛びぬけた人は大組織の中でも「実名」でやっていけるかもしれないけれど、それは「大企業で長く継続できる」という隠れた資質があったうえでのことだ。新人でいきなり「自分の名前で」なんてあり得ない。

  • 匿名性を好む。「これは自分がやったことだ」というような意志表明(自分の名前で仕事をすること)にあまり興味を持たない。むしろ一人ではできない大きなことを仕事ではしたいと考える(たとえば世界中に普及する自動車の開発に関与したというようなことを好む)。
  • 「巨大なものが粛々と動いていく仕組み」みたいなものが好き。工場が好き。プラントが好き。巨大建造物が好き。社会のルール作りみたいなこと(立法っぽいこと)が好き。

あたりに◎がついた人は、こういうところであまり躓かない「傾向」にある。
そして次に重要なのが、体力(持久力)である。ここぞ勝負と「ベンチャーに三年くらい没頭する」みたいな瞬発力的な体力(あるいは「好き」なことならいくらでも続けられるというようなタイプの体力)というよりも、長く長く淡々とマラソンを走るような体力である。とにかく大企業の人達は忙しい。これは組織の「巨大さ」、やっている仕事の「巨大さ」と深く関わっていて、本質的な問題である。自分ひとり仕事が終わっても「終わり」になどならないからだ。交渉ごとであれば相手もある。相手も巨大組織だと意思決定にも時間がかかるし、巨大な案件であれば、意志決定者と現場で働く人の間に階層がいくつもあるから、さらに時間がかかる。意思決定が覆れば、やった仕事が無駄になることもある。そういうことも全部ひっくるめて「巨大さ」を楽しめることは、極めて重要な要素になるし、それとセットになった持久力を持つことが大切だ。
また、仕事は仕事、「好きなこと」は「好きなこと」で仕事以外でというふうに、自分が割り切れれるかどうかを自問するとき、仕事への長期にわたる長時間コミットメントという問題については、ある程度、覚悟しておいたほうがいい。これは組織の非効率とか批判しても簡単には解決しない。組織や仕事の「巨大さ」とセットになった副産物だからである。そことの親和性が自分にあるのかどうか。大企業に長く勤めながら、趣味で大きな自己実現をされている方々がたくさんいるが、そういう方々も、よくよく話を伺っていくと、大組織に親和する「隠れた資質」を持った上で、そういう持続ができているケースが多いのである。
理由や背景や具体例を挙げ出せばキリがないが、以上、昨日のエントリーの補足である。
学生が社会と初めて接点を持つのは、多くの場合就職活動であり、その中で否が応でも「大企業への就職」が視野に入ってくる。だから「好きを貫きたい」と考えつつも、それを大企業の中でできるだろうかとまず考えるのは、とても自然なことだと思うのだ。そのときとても大切なことは、その本質(大企業の場合は大企業の醍醐味みたいなもの)に近づく前に躓いてしまいそうかどうかということだ。選択肢があまりなかった昔は、「我慢しろ」と言われて従ったものだが、今は時代も違うので選択肢も多い。そこのあたりをきちんと突き詰めぬまま躓き「ここではないどこか」を求めて動き続けるのではなく、早い時期から、自らの傾向、向き不向き、ということに意識的であってほしいのである。