新聞社の将棋担当者への提言: ネット上に長い観戦記を

週一回三ヶ月の毎日新聞夕刊コラムを引き受けたのは、じつは何を書いてもいいと言われたので、どこかで将棋の話を一回書きたいと思ったからである。
第九回の「将棋の魅力」
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20061212/p2
がそれである。新聞の夕刊を誰が読んでいるかといえば、本欄読者はほとんど読んでいないだろう。僕が新聞の夕刊にこの話を書くことでメッセージを届けたいと考えた対象読者は、新聞社の将棋担当者と、棋士観戦記者といった将棋関係者だった。
新聞関係者は競争相手の新聞も含めて新聞をよく読んでいるし、将棋関係者も新聞社がスポンサーだから、普通の人よりも新聞を読んでいる。将棋の話を第三者が書くなんてめったにないから、まぁ狭い世界で少しは話題になるかもしれないと思ったのだ。
プロ棋士も最近はブログを書くようになっていて(主だったところはこのRSSリーダーhttp://r.hatena.ne.jp/umedamochio/%E5%B0%86%E6%A3%8B/で読める)、ネット上でも反応があった。遠山四段からである。
http://chama258.seesaa.net/article/29671248.html

私が印象的だったのはこの部分

「将棋の魅力」を形づくる情報量のかなりの部分が、棋譜と観戦記にその将棋が凝縮された時点でごっそり失われていることに驚いた

 全体を通じて、将棋に対する愛情を感じます。そしてちょっとした指摘がが一味も二味も違って面白い。このような考え方は今までほとんど無かった事である。
 長年将棋界にいて感じる事なのだが、どうしても「内側の論理」で物事を進めがちである。考え方が一人称に陥りがちなのだ。まぁ職業病とも言えるだろう。

僕がこのコラムで書きたかったことは、シンプルに観戦記の長さの問題なのである。
新聞というのは発行部数が多い分、一文字あたりの価値(コスト)が高い。よって僕などが執筆依頼を受けるときでも、雑誌よりもさらに制限字数が短い。そういう制約を「当たり前」の前提にして新聞の将棋観戦記というものが書かれている。インターネットにはそういう制限字数のコスト的制約などないのに、その思考の枠が取り払われていないのである。
たとえば、朝日新聞では、新聞観戦記をネットに転載している。
http://www.asahi.com/shougi/
たとえばいまこのトップページに来ている「▲山崎隆之 七段 対 △中田宏樹 八段」なんて最高に面白そうで深い将棋なのに、観戦記を読んでも、中身がぜんぜんわからない。これでわかるのはよっぽど強い人だけであろう。大衆相手の新聞なのに、プロ中のプロみたいに強い人にしか楽しさがわからない。
それはとにかく字数が短すぎるからなのだ。数えてみたが、一譜あたりだいたい四百字である。この将棋は六譜完結だから、四百字詰め原稿用紙6枚でこの将棋を語れ、と言われているのが新聞観戦記なのである。6枚なんて、ぎっしり字が詰まった雑誌の一ページちょっとだ。これは絶対に無理である。
では「将棋世界」の観戦記だとどのくらいだろう。2006年12月号の渡辺竜王の自戦記が12ページ。かなり長いものだが、これをざっと数えてみると、全部文章で12ページ埋め尽くすと原稿用紙36枚である。写真や図面も多いので、たぶん20枚ちょっとだろう。同誌の真部八段の連載「将棋論考」が7ページ。一局の解説にたぶん原稿用紙13枚くらいだろう。
「インターネットの無限性」と言っても現実問題として、無限に長い文章は書けないわけだが、僕が「長い観戦記」のロールモデル(お手本)と思うのは、金子金五郎が「近代将棋」などに書き続けていた観戦記である。もう絶版で手に入らないが「金子将棋教室」という名著があって、僕はそれをときどき引っ張り出しては読んでいるが、この観戦記が本当に素晴らしい。9局か10局の解説で本一冊になる。それで今日、改めて字数を数えてみたのだが、これが一局あたり原稿用紙で35枚から40枚くらいなのである。僕くらいの棋力(初段くらい)でも、その将棋の意味や深さがかなりすっきりとわかる。むろん金子の筆力ゆえなのであるが、分量の多さというのはとても大切な要素なのだ。将棋がそんなに強くない人でも、このくらいの字数をかけて丁寧に手の意味を解説してもらえれば、ちゃんと将棋の魅力、楽しさというのは伝達可能なのである。
少なくともタイトル戦という最高峰の将棋のすべてに対して、新聞社は各社の将棋サイトで、一局あたり原稿用紙40枚くらいの文章の枠(図面は別、これは無数に)を用意して、観戦記または自戦記を掲載するべきだと思う。
そういう長文の枠さえ用意すれば、若い棋士の中からも素晴らしい観戦記を書く人材も育つだろうし、「将棋の魅力」はより広く伝達されていくことだろう。この「長い観戦記」を土台に、その周囲に「Wisdom of Crowds」(群集の叡智)を集めることだってネット上なら可能である。せっかく巨額の契約金を支払って将棋タイトル戦を主催している以上、もう少しまじめに「将棋の魅力」を伝えることに、新聞社は真剣になるべきなのである。