「ウェブ進化論」asahi.comインタビュー裏話

asahi.comで「「ウェブ進化論」著者、梅田望夫さん(45)に聞く」というインタビュー記事が掲載された。
http://www.asahi.com/digital/column/column03_1.html
http://www.asahi.com/digital/column/column03_2.html
この記事は「(asahi.com編集部  平 和博)」と記された記名記事だ。平さん自らがインタビューして記事にしてくれたわけだが、彼はシリコンバレーに住んでいた時期もあり、シリコンバレー人脈も厚く、

ブログ 世界を変える個人メディア

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この本の訳者でもある。本当なら対談みたいな形で「ブログと総表現社会」について語り合うべき人だったとも言える。しかし彼は、読者層などを勘案し、最終的にこんな記事にまとめた。
インタビュー当日、彼が発した数々の質問の中で最も印象的だったもの。聞きながら「ああ、彼は個人的にこのことをいちばん僕に聞きたいんだな」と思った質問は、こういうものだった。

この本について、「ブログ読者との合作」というような意識はありますか?

という質問だった。僕はこう答えた。

「ブログ読者との合作」という意識は全くありません。この本は僕一人の頭の中から生み出された作品で、それ以上でも以下でもない。ただ、ブログでの試行錯誤のプロセスによって、僕はとてつもなく成長することができた。新しい人生観のようなものを僕にもたらし、僕の人生をとても豊穣なものにしてくれた。そのことをものすごく感謝している。・・・・

ダン・ギルモアならば「自分の本はブログ読者との合作だ」と答えたことだろう。「・・・・」以降の部分はかなり正確に、インタビュー記事に反映されている。

 今回、本にまとめた内容の一部は、ブログで試行錯誤のプロセスを公開してきたものがもとになっている。「総表現社会」とはどういうものなのか、「ウェブ2.0」とはどういうものなのか、ブログの体験は、それを自分で人体実験した、ということかもしれない。
 「総表現社会」をどう考えるか、というのは、ネットの「向こう側」にいる不特定多数無限大の1人1人を、すばらしい、と思うか、大したもんじゃない、と思うか、というところに、結構大きな分かれ目がある。
 今までの社会は、1億人の中から表現者を1万人選ぶんだったら、そのプロセスがあった。成績がいい、とか、誰に認められるか、とか、誰の弟子になる、とか。そしてそのプロセスで認められるようになると、だんだん傲慢になってくる。自分の書いているものは、そういう表現をしていない人に比べて、圧倒的に優れたものだ、と。ところが、そうじゃない。インターネットの「向こう側」にいる人々は、たまたまこれまで表現行為をしなかった、すごい人たちなんだ。
 僕はシリコンバレーに12年住んで、IT産業について考え続けてきたプロだと自負している。何か語れと言われれば、何についても語ることはできる。ところが、アップルについて、スティーブ・ジョブズについて僕が語ったとすると、ネットの「向こう側」には、スティーブ・ジョブズに会ったことがある人や、アップルに勤めていたことがある人、あるいは一緒に仕事している人たちが無数にいる。僕がそれなりに精一杯に書いたものも、そういう、不特定多数無限大の人々の「知」の集積と比べてしまえば、全く優位性などないわけです。ブログを通じて、そういう実感を得ることができた。

の部分ですね。
余談つづきに、親しい友人Sからもらったメールの一部を引用する。

梅田さんは昔から、これほど完成度の高い本を書いていたっけ?と失礼ながら思い立ち、これこそがWEBという新たな知的生産のツールによる処女作なのだと気がつきました。
作品の完成度を高めるためには、第三者の目による質問・感想・コメントによるフィードバックが必須ですが、この本は初版にして、その種のフィードバックを完了した跡がみられます。ということはWEB空間において、その種のやりとりが終了した後の産物がこの本だということでしょう。

Sは、本業の経営コンサルティングの仕事を通して親しくなった「親友」の一人だ(顧客企業側のパートナーの一人だ)。おそろしく優秀な、エスタブリッシュメント社会の戦士みたいな人だ。「親友」の一人(身内)が褒めてくれた内容を自慢げに開示するなんて可笑しな話だが、その部分は差し引いて読んでください。
彼のポイントは、長年付き合ってきてよく知っていたはずの梅田が、ブログ空間でずいぶん成長したんだね、それを感じたよ、と認めてくれたところにある。さすがに彼はいきなり本質を掴むなぁ、と僕はこのメールをもらって実は驚いたのだ。そしてそのことをasahi.comの平さんともシェアしたかったので、このエントリーを書いた。
さらに余談になるが、平さんにしてもSにしても、日本のエスタブリッシュメント社会の人材の豊穣さ、層の厚み、個人として魅力を発する人の多さ、というのは凄いものがある。
でも若い人たちは、このことをわかっていない。エスタブリッシュメント社会の戦士たちの日常は忙しすぎ「ネットに住むようにして生きる」ことなんてできない。だからネットのことがわからない。でも過激な若い人たちは、その一点をもって彼ら彼女らを認めようとしない。そういうギャップを百も二百も承知しているからこそ、僕はこの本を書いたのである。
日本における良質なものと良質なものが互いに理解しあえないのは不幸なことだ。しかしその二つの別世界は、きちんと言葉を尽くすことで、理解しあえるのではないかと僕は信じているのだ。