小飼弾さんの「書評 - ウェブ人間論」、「表芸」と「裏芸」について

今週木曜日か金曜日に書店に並ぶ「ウェブ人間論」。知己のブロガーの方々の中の何人かには、見本(書店に並ぶものと全く同じものです、念のため)ができたところでお送りしましたが、早速、書評の口火を切ってくださったのが小飼弾さんでした。本が届いた方々は、どうぞ「書評解禁」ですので、発売日前でもご遠慮なくお書きください。
「書評 - ウェブ人間論
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50711443.html

本書「ウェブ人間論」は、今や「ウェブ進化論」の著者で通じるようになった梅田望夫と、芥川賞受賞者にして1975年生まれ(これ重要)の平野啓一郎の対談を一冊にまとめたもの。率直に言って、「ウェブ進化論」より格段に面白かった。今年を締めくくるのにふさわしい一冊といってよい。
梅田さんは、「論」より「談」が似合う人だと思う。私自身、梅田さんと「Web 2.0 ツールのつかいかた」と対談してそう感じていたのだが、今回その思いを強くした。

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ進化論」とどっちが面白いかについては、僕自身からのコメントは差し控えます。読者それぞれのご判断ということで、ネット上での感想を楽しみにします。
ただ、僕についての「「論」より「談」が似合う人」というご評価は、まあ当たり前といえば当たり前で、僕は28歳のときから現在に至るまで、そろそろ20年近くになりますが、経営コンサルタントを生業として生きており、「経営コンサルタントとして経営者と一対一または一対多で語り合う」という「職業の専門」を通して、話芸というものをずっと磨いてきたわけです。十年後はどうなっているかはわからないけど、現時点での僕にとっては、話芸が「表芸」で、モノを書くのは「裏芸」であるわけです。逆に作家の平野さんにとっては、書くことが「表芸」で、対談は「裏芸」ですね。「表芸」と「裏芸」のどちらが面白いかは、全く別の問題ということですが。
それで「おわりに」(http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610193/afterword.html)の中でこう書きましたが、

平野啓一郎さんとのウェブ進化をめぐる対談は、東京で二度に分けて行われたが、それぞれ延々ぶっ続けで八時間以上にも及んだ。午後四時に話し始めて深夜零時をまわるまで、どちらかがしゃべっていない時間はほとんどなかった。
 平野さんという才能とへとへとになるまで語り合い、濃密な時を過ごすうちに、私の心はいつしか自由になり、ふだんは注意深く避ける表現や話題や仮説にも、思い切って踏み込んでいくことになった。

今回のように、真剣勝負のシリアスなマラソン対談というのは、素晴らしい相手を得れば得るほど、自然に僕の「表芸」が引っ張り出されるという性質を持つわけです。
さて最後に、弾さんの書評の中で、

「ダークサイドに堕ちてますよ!!」(p.147)という言葉は、それに対する警告だと私は思う。

とありますが、僕が誰からどんな場面で「ダークサイドに堕ちてますよ!!」と警告を受けたのかは、どうぞ本を読んでのお楽しみということで。もちろん平野さんから言われた言葉ではありません。それは本欄読者なら想像がつくことだと思いますが、一応、念のため。

「ウェブ人間論」立ち読み部分

平野啓一郎さんが定義したウェブ上での「五種類の言説」をめぐる議論の部分が、新潮社「ウェブ人間論」公式サイトにアップされました。
http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610193/reading.html
ここにもその一部を転載しておきましょう。
全文は新潮社サイトでどうぞ。

平野 僕の場合、デビューが一九九八年で、その頃にネットでかなり嫌な思いをしたことがあるんですね。現実の世界では、ちょっと経験したことがないような罵詈雑言にもさらされたし、事実無根のウソやデマも書かれた。今はもう、ネットのそういう一面も知ってますけど、最初のショックは大きかった。それは僕に限らず、あの当時、社会に名前の出ていた人の多くが経験したんじゃないですかね。僕は、今そのことについてどうこう言うつもりはないんですが、実際のところ、僕自身もネットの恩恵をすごく被っていて、もはやネットに接続できない生活は考えられないところまで来ているにもかかわらず、今でも何処か、梅田さんのようなさわやかな感情をネットの世界に対して持ちきれないのは、一つにはあの時のトラウマがあるんだと思います(笑)。これは僕個人の問題ではなくて、今日までのネットについての日本の言論全体に言えるのかもしれませんが。それを語りうる立場にあった人たちは、多かれ少なかれ、そうした経験をしていた可能性がありますから。
 それはまあ、極端にネガティブな経験ですけど、それも含めて、僕はネットでブログをやっている人の意識って、だいたい五種類に分けられるんじゃないかと思ってるんです。
 一つは、梅田さんみたいに、リアル社会との間に断絶がなくて、ブログも実名で書き、他のブロガーとのやりとりにも、リアル社会と同じような一定の礼儀が保たれていて、その中で有益な情報交換が行われているというもの。
 二つ目は、リアル社会の生活の中では十分に発揮できない自分の多様な一面が、ネット社会で表現されている場合。趣味の世界だとか、まあ、分かり合える人たち同士で割と気安い交流が行われているもの。
 この二つは、コミュニケーションが前提となっているから、言葉遣いも、割と丁寧ですね。
 三つ目は、一種の日記ですね。日々の記録をつけていくという感じで、実際はあまり人に公開するという意識も強くないのかもしれない。
 四つ目は、学校や社会といったリアル社会の規則に抑圧されていて、語られることのない内心の声、本音といったものを吐露する場所としてネットの世界を捉えている人たち。ネットでこそ自分は本音を語れる、つまり、ネットの中の自分こそが「本当の自分」だという感覚で、独白的なブログですね。
 で、五つ目は、一種の妄想とか空想のはけ口として、半ば自覚的なんだと思いますが、ネットの中だけの人格を新たに作ってしまっている人たち。これは、ある種のネット的な言葉遣いに従う中で、気がつかないうちに、普段の自分とは懸け離れてしまっているという場合もあると思いますが。
 この五種類が、だいたいネット世界の言説の中にあると僕は考えるんです。一番目と二番目とについては、ネットに対して最も保守的な考えの人でも、多分、否定的には見ないでしょう。三番目は、やっぱり、自分を確認したいというのと、自分のはかなく過ぎ去っていく日々を留めおきたいという気持ちとがあるんだと思います。よく問題になるのは、四番目と五番目ですね。その時に、リアル社会のフラストレーションが、「自分の本音は本当はこうなんだ」という四番目の方に向かうのか、五番目の空想的な人格の方に向かうのかは分かれるところだと思いますが。
梅田 三番目や「2ちゃんねる」的な世界を含めた四番目や五番目の人たちを、平野さんはすごく重視している、関心が向いているわけですね。
平野 ええ、まあ、重視というか、そうですね、関心が向きますね。人間の内面に直結する分、ある意味で、ネットの一番デリケートな部分というか、難しい部分だという気がしています。文学ではドストエフスキーの『地下室の手記』以来のテーマだと思いますけど。・・・・・・・・

「ウェブ人間論」おわりに(梅田望夫)

新潮社「ウェブ人間論」公式サイトに、僕が書いた「おわりに」がアップされました。
http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610193/afterword.html

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

「ウェブ人間論」はじめに(平野啓一郎)

新潮社「ウェブ人間論」公式サイトに、平野さんの「はじめに」がアップされました。
http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610193/preface.html


ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

「ウェブ人間論」公式サイト(新潮社)

umedamochio2006-11-22

ウェブ人間論」公式サイトがオープンしました。
http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610193/index.html
いまは「目次」ページがアップされていますが、順次、平野さんの「はじめに」、僕の「おわりに」などが公開されていきます。

「ウェブ人間論」目次

アマゾンに「ウェブ人間論」の目次がアップされました。
立ち読み感覚でざっと眺めてみてください。

目次

はじめに──平野啓一郎

 第一章 ウェブ世界で生きる
  ネットの世界に住んでいる
  検索がすべての中心になる
  「ウェブ2・0」への変化
  ネット世界で日本は孤立する
  自動翻訳の将来性
  ブログで人は成長できる
  ピン芸人的ブログ
  情報にハングリーな人たち
  ウェブ=人間関係
  リンクされた脳
  理想の恋人に出会えるか?

 第二章 匿名社会のサバイバル術
  ネットなしではやっていけない
  五種類の言説
  新しい公的領域
  匿名氏の人格
  抑圧されたおしゃべりのゆくえ
  顔なしですませたい
  アイデンティティからの逃走
  たかがネット ネット世界の経済
  平野啓一郎という無名人
  空いてるスペースを取る
  分身の術
  『サトラレ』の世界
  パソコンをリビングに

 第三章 本、iPod、グーグル、そしてユーチューブ
  表現者著作権問題
  「立ち読み」の吸引力
  本は消えるのか?
  紙を捨てて端末に?
  スタンドアローンなメディア
  ユーチューブの出現
  iPodと狂気
  グーグルは「世界政府」か
  通過儀礼としての『スター・ウォーズ
  ダークサイドとの対決
  シリコンバレーの共同体意識
  オープンソース思想とは

 第四章 人間はどう「進化」するのか
  ブログで自分を発見する
  「島宇宙」化していく
  ネットで居場所が見つかる
  頭はどんどん良くなる
  情報は「流しそうめん」に
  ウェブ時代の教養とは
  魅力ある人間とは
  テクノロジーが人間に変容を迫る
  一九七五年以降に生まれた人たち
  百年先を変える新しい思想

 おわりに──梅田望夫

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

「ウェブ人間論」(梅田望夫 平野啓一郎共著)の予約販売開始

umedamochio2006-11-18

12月15日に、平野啓一郎さんとの共著「ウェブ人間論」(新潮新書、714円)が発売されます。その予約販売がアマゾン、紀伊国屋BookWebをはじめネット書店でスタートしました。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4106101939/sr=1-4/qid=1163840698/ref=sr_1_4/503-3837513-5191110?
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=YK-0004801

日本におけるインターネット元年から十年。いまウェブ2.0という新たな局面を迎え、本当の大変化が始まろうとしている。「ウェブ進化」によって、世の中はどう変わりつつあるのか、そして人間そのものはどう変容していくのか──。
ビジネスとテクノロジーの世界に住む梅田望夫と、文学の世界に生きる平野啓一郎が、その変化の本質と未来を徹底的に話し合った、熱く刺激的なウェブ論。

平野さんとの雑誌「新潮」での対談(二回に分けて掲載)については本欄でも紹介したが、雑誌を探して買ってまでその内容を読んでくださった方は本欄読者には少なかったと思う。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060503/p1
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060511/p1
「新潮」掲載用の対談は、2006年4月に8時間にわたって行われたものの一部だが、その後もう一度、8時間ぶっ通しのマラソン対談をやって、その全部をもとに出来上がったのがこの新書である。
まもなく新潮社に「ウェブ人間論」オフィシャル・ホームページができ、このブログと「平野啓一郎公式ブログ」
http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/
と連携し、詳細目次、平野さんによる「はじめに」、僕の「おわりに」などを順次公開していきます。
まずは僕が書いた「おわりに」のほんの一部を。

「インターネットが人間を変えるのであればどのように変えるのだろう、ということにずっと興味があって小説を書いてきた」
と話す平野啓一郎さんとのウェブ進化をめぐる対談は、東京で二度に分けて行われたが、それぞれ延々ぶっ続けで八時間以上にも及んだ。午後四時に話し始めて深夜零時をまわるまで、どちらかがしゃべっていない時間はほとんどなかった。
平野さんという才能とへとへとになるまで語り合い、濃密な時を過ごすうちに、私の心はいつしか自由になり、ふだんは注意深く避ける表現や話題や仮説にも、思い切って踏み込んでいくことになった。

来週以降に、平野啓一郎さんとの出会いからこの本ができるまでの約半年についての感想なども書いてみようと思う。